スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[--/--/-- --:--] スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)

憲法の話 

昨日は友人に誘われて「よく分かる憲法の話」という内容の学習会に参加してきました。

今まで憲法って「法律の上にある法律をまとめる親分」だと思っていましたけど…違うのですね~。

「法律は行政(政治家)が国民に守らせるルールで、憲法は国民が国家(政治家ともいえるかな)に守らせる理想・理念」で法律と憲法はまったく反対の作用を持つモノなのだそうです。

だから憲法は国民に守る義務があるのではなく、
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員が憲法を尊重し擁護する義務を負っている(憲法99条)!

目からウロコの話が多くて、かなり面白かった。

そして今なぜ憲法9条が変えられようとしているのか?なんて
話も詳しく説明されて…なんだか怖くなってきました。

今までの憲法のどこがいけないのだろうか?
講師の人も「今まで日本が平和に暮らしてきたのは
この憲法が合ったから!」と強調していたけれど、
本当に私もそう思いました。

でもそう思わない人が増えているらしくて…
複雑な気持ちです。憲法を知らないってこんなに怖いことなのですね!子どもにも昨日の話を聞いて欲しかったけれど、
私に説明する能力が無い。悲しい~。

スポンサーサイト

[2007/01/14 22:25] つぶやき | TB(0) | CM(0)

バラバラ殺人 その2 

今日、新聞で「なぜ身内をバラバラに」という記事が載っていた。

新聞記事によると、「遺体をそのままにしておけない」「つかまりたくない」「遺棄するのに重い(特に女性)」などの事情があり、犯人の残虐性とは関係ない、ということだった。(朝日新聞より)

確かにバラバラにしないといけない事情があるのだろうけれど…。人間はすべてを手に入れられる訳ではないから、たとえば「捕まりたくない」ということと「でも重くて運べない」など、相反する現実があるときに、どちらか一方を選択するしかない。

「捕まりたくない」気持ちが勝ったら、当然そのためにどうしたら良いのか?が次の問題として浮上する…。バラバラにしてでも運び出すのか?他の人に手伝ってもらって運び出すのか?
いっそ運び出さないまま隠し通すか?

都会は「庭に埋める」ということができないので、バラバラ殺人事件が起きやすいらしい。(前述の朝日新聞)

その上、さすがに一緒に死体を運んでくれるなんて友だちはいないだろう…、結局「バラバラにするしかない」という結論になるのだろうか?

やっぱりどんなに説明されても「死体を自宅の風呂場でバラバラに切り刻む」こと自体、恐ろしくてできそうにない。
それなら捕まろう!なんて思っちゃいそうな私。

残虐というより…そういう「人間的なものに対する畏怖」の感覚がずれている気がしてならない。

そういうことができる人って、死体を「もの」に近い形で認識している気がするのだけれど。じゃなきゃ恐ろしくて死体を触わることができない。でも人間なんてその時になると「通常の感覚」がなくなるものなのかな?考えても考えても「わからない感」が募る事件が続く…。
[2007/01/14 09:01] つぶやき | TB(0) | CM(1)

バラバラ殺人 

このところ、バラバラ殺人事件が次々に起きている。

殺したいほど人を憎んだことはないけれど、
間違って人を殺すことだってあるかも?とは思う。

しかしその死体をバラバラにできるという感覚が私には
理解できない。

子どもの頃、朝起きると「三島由紀夫割腹自殺」という
大きな新聞記事とともに
三島由紀夫の首が置かれた写真が出ていて、
その恐ろしさにショックを受けたことがある。

戦場で死体が転がっている写真などもいまだに直視できない。

間違って殺人を犯すこともあるかも…と思うことは
あるけれど、そのからだをバラバラにするなんて
想像するだけでも恐ろしくて絶対できない。

世の中、どうしちゃったのだろう?
人として「当たり前」感覚がどんどんずれているのかもしれない。

世の中を騒がした詫間・小林・酒鬼薔薇事件
みんな「人を殺して自分が死にたい。生きていても仕方が無い。」と言っていたみたいだけれど

 人殺し=自分殺し=唯一自分の人生を生かす方法

という逆説的な人生って何だろう?

人が狂っているというより
世の中自体狂い始めているように思う…
[2007/01/13 12:46] つぶやき | TB(0) | CM(0)

公共のモラルは低下している… 

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。

さて…今日は自分の中にある公共へのモラル低下を
感じた。

たとえば、1月新年になって、ゴミの出し方が変わった。
燃えないゴミが、「リサイクルできるゴミ」と「燃えないゴミ」の分けられるようになり、プラスチック製の物はリサイクルできるようになった。けれど、その仕分けを年末しなかったため、家のベランダには年末大掃除の時に「燃えないゴミ」として出したゴミが転がっている。

今週の金曜日初めての「プラスチックゴミ」の回収があったけれど…年末の燃えないゴミを仕分けせずに、出した人も多くて、今日自治会の人がゴミ置き場に残されている燃えないゴミをキチンと仕分けをして、片付けている。

その姿を見て、我が家のベランダのゴミも仕分けして、出しなおさないといけない…と思いつつ、一回ぐらいは良いか?なんて感じで16日の「燃えないゴミ回収日」に出す予定。

公共に対するモラルって年々低下している気がする。
昔の人は隣近所が知り合いだったから…「近所の目がうるさい」と回りに迷惑をかけないように生きていた。

でも私たちは周りとの関係が希薄で気楽になった分、
周りの人のことなんてお構いなしな世の中になった。

自分のモラルの低さを反省しつつも…なんだか「面倒」と思っている自分がいるのだよね?
[2007/01/07 12:37] つぶやき | TB(0) | CM(0)

自己愛の強い人間 

前々回書いた「わがままな親子」。
このところ、学校のお休みが続いている。担任が電話をしても親から「対応が悪いから」と言われてしまうため、私の方で電話をして欲しいと頼まれた。

(私)「体調はいかがですか?」  (母親)「頑張ってきた疲れがたまっているみたいだから…」
いかに自分の子どもが頑張ってきているか、毎回延々と主張する。もちろん頑張っていることに異論は無いけれど、彼女だけが特別頑張っているとは思えない…。

他の子どもたちもそれぞれの家庭の事情やら、学校の友人関係の事情を抱えて悩みつつ…無理して頑張っているのだ!(彼女以上に家庭に居場所が無い子どもが学校にはたくさんいる…)

そして、私の対応に落ち度があったところがあって…と暗に言われた。おそらくその事を母親に話しているだろうと思ったので「やっぱり案の上その話か?」と思った。とりあえず、母親の意向に沿って「そうですね。気をつけてみます」と答えておいたが、自分の子どもがその前にどれだけ相手にいやな思いをさせたり、自分勝手な考え方をしているか、なんてことに気がついていない。

一緒にいた子どもたちはおそらく彼女とはまったく違う考え方をするだろうけれど、その事に本人も親も気がつこうとしないし受け入れようとしない。

結局自己愛の強い親子なのだろう…。まったく自分たちに「非」はなく、ひたすら相手に「非」を求める親子。無性に腹が立つ。

どうしてだろう?と自問自答してみた。少しでも「困っている」「悩んでいる」という態度があれば、こちらも「話し合い」のリングに上がれるけれど、一方的な関係を求められうやり方に自分の中で違和感が大きいのだ。

こういう自己愛の強い人に対応する方法ってどうしたらいいのかな?
[2006/12/16 13:02] つぶやき | TB(0) | CM(1)



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。