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モラル・ハラスメントは妻にだけ? 

そういえば、離婚を決心したのは
私へのモラハラというより、子どもに対してのモラハラが
ひどくなったから。

DVと言うのは基本的に2者関係や親密な関係の時にしか
起きないことが多い。
暴力を振るう人はその場面を自ら選んでいるのだ、と言われるが
まさに二人っきりの時・他の人の目がない時、にふるわれる。

だから他人からは気がつかれないどころか
被害者が暴力の存在を周りに訴えた途端に
二次被害的な目に遭うことが多い。

「あなたがわがままだから」
「あなたがそう考えているだけ」
「あなたが相手をそうさせている」
「考えすぎ」「気にしすぎ」などなどの非難は
被害者に集まることが多い。

しかし、私の場合は私が先にモラハラにあっていただけに
私のいない時の話を子どもから聞かされた時にぞっとした!
「私と同じような目に遭っているの?」
これでは私がいない時に子どもを守りきれない。
子どもを守るには離婚するしか無い…と。

おそらく元夫は自分の方が被害者だと思っているのだ。
自分を馬鹿にするような態度をしたから
腹を立てたのだ。怒る理由があるのだから怒って当然である
と思っているだろう。

だからいつまで経っても自分の暴力性を認めることは無い。
子どもを守る親の方が、子どもを傷つけるなんて?と
思うけれど、「自己愛」に目がくらんでいる元夫には
それがおかしいことだと思えなくなっている。

これはもう話し合っていてもダメと
思った瞬間から離婚に向けて私は走り出したのだ。

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[2005/11/30 21:50] モラル・ハラスメント | TB(0) | CM(0)

モラルハラスメント 

以前書いた記事にコメントをくれる人がいたので、
ちょっと遠ざかっていたいモラルハラスメントについて…。

今でも夫の態度は私のせい?という思いを私は払拭できない。
私のせいではないと頭では思っているが、
「私がそういう風にさせてしまったのだろうか?」と
時々考えてしまう。

モラハラ夫はそういう「自責の念が強い」タイプを選んで
暴力を振るうのが得意らしい。
だからこそ、DVを受けている妻は逃げない、逃げられない。
逃げ出すよりも「私が悪いからこうなったか?」と
考えてしまうから、
ついもう少し私が努力してみようか?と思っているうちに
月日はどんどん流れる。

その上、モラハラ夫が四六時中嫌な奴か?といえば
そうではない。自分よりも優しかったり、親切だったりすると
自分の性格が悪いからだろうか?と考えてもおかしくはないだろう。
向こうにだって良いところがあり
こちらにだって悪いところがあるだけに、
一方的に相手が悪いと決め付けられない。
だからますます困るのだ。

しかし冷静に考えると向こうのやっていることは
結構な精神的暴力だと思う。
対等な人同士ではありえないような関係に引きずり込まれて
いることは確かだから…。

そこがモラハラの実は一番「恐い」所なのかもしれない。
他人にはわからない、または見えない「不平等」であり、
「管理」「監視」そして「恐怖」だから。
[2005/11/30 01:24] モラル・ハラスメント | TB(0) | CM(0)

前向きに・・・ 

家庭生活でも、仕事でも「力」によるの抑圧を受け、
どうして自分ばかりがそういう目に遭うのかと悩んでいた。

いろいろと悩みまくって、自分を見失いそうに
何度もなったけれど…やはり大事なものを捨てられないという結論。

職場での「いじめ」に近い状況についても
理不尽だと思ったけれど、起きたことを
どう受取りそれをどういう風に処理するかは、
私の選択に任されていることだ。

このまま職場を辞めることになったら、
今までの仕事の経験を捨てることになるかもしれない。
しかし、それ以上に大切にするものが
私にはあるのだとわかったので、前向きに生きていこうと思う。

これからの生活を支える仕事がみつかるかどうか
不安で一杯だけれど、自分を信じるしかないのだな!と
思う今日この頃…


[2005/11/28 00:13] つぶやき | TB(0) | CM(0)

弱者いじめ? 

地域の市民活動をしている人たちの会議に飛び入り参加した。
その時に驚くような事を聞かされた

ここ1~2年の間に学童クラブへの国の補助金が切られるらしい。

学童クラブというのは放課後児童育成事業として児童福祉法に
規定されている小学生を対象にした放課後の保育施設だ。

保育園は満杯、学童クラブも定員オーバーで
これで「少子化対策」を声高に叫ばれても、安心して
仕事を持ちながら子どもを生み育てることはできない。
待機児問題はどうなるの?なんて話どころではない!
学童クラブの存続そのものが危ういらしい…。

生活保護も市町村・教員給与も市町村・学童クラブも市町村、
全て市町村で運営と言うことになれば
教育や福祉、特に児童福祉の切捨ては必須だ。

今後行政は一体どうやって弱者を支援しようというのだろうか?
「弱者」を「弱者」としてただ保護して欲しいとは思わない。
最終的に自立することを目標にして欲しい。
ぬるま湯の支援は、自立よりも依存を招くと感じることもあると
思う。

しかし弱者切捨てとしか思えない、この頃の国の動き。
このままで子どもを安心して育てることができるのだろうか?
そして子どもたちもイキイキと育つことができるのだろうか?
国をあげての弱者いじめの世の中になってしまうような気がして
何だかがっかりしてしまった。

[2005/11/25 22:48] 子どもの問題 | TB(0) | CM(0)

教育としつけと暴力 

名古屋に住んでいる不登校・引きこもりを直す専門機関として
「長田塾」というところがあるのを知っている人も多いと思う。
しかしそこに強制的に連れて行かれた人が
裁判を起こしていることを知っている人は少ないだろう…。

昨日、その「長田裁判」についてのシンポジウムに参加した。
そのシンポは二部構成になっていて、
一部は原告側の弁護士による
「長田塾」の実態や裁判の経過説明など。
二部は原告とは異なる若者(不登校や引きこもりだった)による、
「親により病院に強制入院させられた体験を持つ子どもたち」の
話を聞く会であった。

二部の二人は不登校または引きこもりだった上に
家庭内暴力の当事者であり、家庭内暴力の果てに
病院に強制入院となった経験を持っている。

「大好きな親を殴りたくて殴っている子どもなんていない」
「親に分かって欲しいのに、言葉では分かってもらえなくて
最後に暴力でしか表現できなくなっているだけ。」
「こんなに苦しいのだ、こんなに苦しんでいるのだと
親に分かって欲しい。その訴えを全然分かってもらえず
何度も裏切られてきた…」

一人の人は学校でひどいいじめにあっていたにも関わらず、
父親に強制的に学校に連れて行かれて、いじめを受け続けた。
いじめ体験から時間がたっても時々フラッシュバックとして
よみがえり、そのつらさを親に分かって欲しくて
暴れてしまったところ、
警察に連行されて病院に入院させられてしまったと話してくれた。

彼は、佐賀のバスジャック事件の犯人を挙げて
「犯罪者を作ってしまうような親になって欲しくない」と
訴えていた。「学校に行かなくても
親は子どもに“生きている”だけで良いと思って欲しい」
どんなに子どもにとって親は大切な存在だ。

「何度も親に裏切られた」と時には声を震わせて訴えていた
彼らがそれでも「そんな親でも好きなのだ」と言っている
その痛々しさに涙が出た。

親は子どもに良かれと思って、「しつけ」や「教育」を行う。
しかし、それが子どもにとって「暴力」となっていないのか?
子どもの側からの発信に耳を傾けることも大切だと
改めて気づかされた一日だった。
[2005/11/24 14:43] 子どもの問題 | TB(0) | CM(0)

東村山情報2 

東村山市の木はとうとう伐採されることになった。
http://higashimurayama.at.webry.info/200511/article_9.html

近くの住民の中には、木の伐採の時だけ急に大騒ぎになることに
驚きを示すコメントを書いている人もいた。地域の環境を守ろう!
というのなら木の伐採以前に、そのあたりの不法投棄で困っていた
時もなぜ騒いでくれないのだ…というような意見だ。
http://plaza.rakuten.co.jp/higashimurayama2/diary/200511120001/#comment
確かに様々な意見があり、その人の言い分も最もだと思う。

でも、今回の騒動は「木の伐採」が問題なのではなく
「緑の市民会議」という市民と行政との会議が毎月開かれている
にもかかわらず、伐採についての事前の相談や報告が一切なし!
担当の「みどりと公園」課の職員にも
この計画がほとんど知らされてこなかった。

つまり、市内の問題は地域住民が主体となって考えるべき問題である、
という基本的な姿勢が行政側にないということだろう。
行政内部の一部の人だけが勝手に決めたことを、
地域住民が責任を持って主体的に
「私たちで地域を良くしよう」と行動できるのだろうか?

最終的に木を切ることになったとしても
住民による話し合いの席で決まったことなら、みんながそれなりに
納得して進んでいけるのに…、その話し合いに加えてもらえないのは
どういうことなのか?ということへの怒りだろう。

行政側からすれば、色々な考えのある地域住民の話をいちいち
取り上げていると、計画がスムーズに進まない。しかも地域住民の
意見が一本に集約されるとは思えない…、ということで
自分たちの立てた計画を進めてしまうのが一番!という結論に達して
一部の人だけで計画を実行することになったのだろうと思う。

確かに話し合うことになれば、やぶ蛇な話が出るし
どこにどう話が転ぶか分からないし、またどうまとまるのか…、
最悪の場合は結論が出ないどころか、住民の意見が割れて
住民同士が喧嘩状態になるかもしれない。

だからこそ
行政は「話し合い」なんて無謀なことはしたくないのだろう。

それだけ市民の力を信じていないということなのだと思うが、
「自分を信じる」そして「相手を信じる」という心が
育っていない日本で、お互いを信じて話し合うことを
構築することは難しい…。

「子どもを信じて、子どもに話し合わせる」ことがほとんど
できないような国で、大人になったから急に
話し合いで決めましょう、と言っても無理なのだと思う。

行政の抱えている問題は、
どこの家庭・どこの学校・どこの地域にも
転がっている「人権」の問題だと私は思う。

自分が話し合いに参加できないと「腹立たしい」と
怒っている人も、自分の子どもや自分の家族と話し合いで
物事の解決を図ろうとしない限り、行政だけを糾弾しても
本当の解決に向けての一歩は踏み出せないのではないか?

つまるところ「私」の生き方や日ごろの行動を棚上げして語ることは
簡単だが、私自身が自分の生き方が問われていることなのだろう、
と自戒を込めて成り行きを見守りたい…。


[2005/11/19 11:16] つぶやき | TB(0) | CM(0)

東村山情報 

「東村山グルメ日記」というブログがあるのを、木の伐採の件で知った。このブログと違ってかなりの人気ブログらしいだけに、
コメントもたくさん寄せられていた。
 http://plaza.rakuten.co.jp/higashimurayama2/

その中には東村山市の職員からのコメントもあった。
「これは東京都が進めている事業で、自分も残念に思うが
下っ端の私には何も知らされていなかった。」
ううむ、この状況分かるな~。

市町村の予算や計画はかなり複雑で、
都の事業として行われるのか市の事業として行われるのか、
上司がキチンと説明してくれない限り
下っ端にはさっぱり分からないということもある。

私の職場でも同じような状況だ。
上司のほとんどがうるさく文句を言われたくないので
文句をいう下っ端にはできるだけ色々なことを伝えずに
どんどん計画を作ってしまうなんてことが多い。

その上、私は非常勤職員なので
事業の決定に関しても
正規職員から見れば「相談する必要のない」存在。
ところが現場で市民と直接対面しているのは私たちのような
下っ端である。

市民にとって良くないサービスだと分かっていても、
どうすることもできない立場に追いやられているにも関わらず、
直接市民から「どうしてこんなことになったのか?」と
言われてしまう立場。

だからこそ、そうなる前に上司に
「一市民の立場から言わせてもらうと、
私ならこれでは市民として納得できないと思う。」と伝えるのだが…、
おかげで職場でいじめに遭ってしまっているこの現実。

どうしたら、この悪循環が好循環に変わるのだろうか?
東村山市の問題は、他人事でなく
まさに自分の身にも起きている問題なのだ!と思う。

それにしても、どこの行政でも同じような問題が
起きているってどういうことなの?


[2005/11/13 21:33] つぶやき | TB(0) | CM(0)

行政って何ナノかな?3 

PICT0284.jpg

長年住み慣れた風景が変わるということが、どれほど多くの人に
喪失感を与えるか?そんなことを考えてみてはくれないのだろうか?

自分のふるさとの風景がすっかり変わってしまって、
がっかりしてしまう気持ち、特にお年寄りなどに
相当な打撃となってしまう場合だってあるだろう。

みんなのためになりたいという思いの基本は
まず「みんなの気持ちを聴く」ではないだろうか?

行政という職場にいる私から見える行政職員は
「自分たちが必死にこんなに考えているのだから、
住民が喜ばないわけがない」と
勘違いしている部分があるという気がする。

東村山市で起きているようなことが、当たり前・仕方のないこと
なのだしたら、「行政って誰のためのものなのか?」教えて欲しい!

この記事についてもっと詳しい内容を知りたい方は…
http://higashimurayama.at.webry.info/200511/article_4.html
http://plaza.rakuten.co.jp/higashimurayama2/
を見てください。

[2005/11/12 01:21] つぶやき | TB(0) | CM(0)

行政って何ナノかな?2 

PICT0296.jpg


行政側は「住民側と話し合ってきた」と言っているにも関わらず、
自民党の市議でさえその事実を知らなかったらしい。
それって、どういうことなのだろう?

数日前に新聞の投稿記事に
ある行政職員の方が書いていた文章が載っていた。
「住民のためになりたいという志を持って行政に入ったのに
多くの人から行政職員バッシングを受け、納得いかない。
行政の職員は日々深夜まで頑張っている!」という内容だった。

私も行政職員が「安定している職場だから」という理由だけで
その職を選んだわけではないと思う。志を持って職に就いたのだろう。

しかし、住民のためになりたい⇒住民は分かってくれない⇒
住民のためにこんなに考えている自分の考えの方が正しい…
という気持ちになっていないのだろうか?

行政の人は頭が良い人も多い。だからこそ頭で考えることが
当たり前になって、感じることや相手の身になってみることを
忘れがちになっている気がする。

[2005/11/12 01:10] つぶやき | TB(0) | CM(0)

行政って何ナノかな?1 

PICT0295.jpg

東京の東村山市で突然降ってわいたような事件が起きた。
都営住宅の立替で、50年以上もその街で育ってきた250本もの
桜やイチョウの木が伐採されるというのだ!

もちろん、全てがなくなる訳ではないけれど、
そのほとんどが根こそぎ抜かれて捨てられていく。
行政側は「住民と話し合ってきた」「反対意見はなかった」と
いうコメントらしいけれど…。

NHKで放映されたり新聞などに掲載されたけれど、
その前にかなりの木が伐採されてしまったらしい。

その様子は次の記事にアップします。





[2005/11/12 00:58] つぶやき | TB(0) | CM(2)



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