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一年を振り返って 

この一年、いろいろなことがあったけれど、
人間というものについて考えさせらることが多かった。

世の中が殺伐としてしまっているのか、
いつの時代もこんなものなのか、むしろ今の世の中の方が
よほど幸せな世界なのか、私にはよくわからない。

ただ、身近ないたるところに「暴力」が存在していることに
気づきはじめると、際限なくこの「暴力」と戦う羽目に
陥るのだということに気がついた一年…。

「モラハラ」は家庭だけでなく職場でも起きる。
私の場合も職場で「モラハラ」に合い、退職を選ぶことにしたが
相変わらず、上司は私の退職に際しても
自分の責任回避行動でアタフタしているだけの様子。

「いじめ」はいじめている人といじめを放任している人の
二重の暴力だといわれるが、まったくその通りに進んでいて
笑ちゃいます!
「いじめ」「虐待」に対応し支援しなければいけない現場で
起きている「いじめ」の問題…。

ある人から「鈍感な人にいくら言っても感じることができない」
と諭されたけれど、まったくその通り!としか言いようが無いような
結末を迎えた。

いろいろな人が生きているのだから、
それぞれに考え方に間違いは無いのかもしれない。
相手にいくら腹を立てても、相手の気持ちや心を変えることは
できないことを思い知らされた一年だった。

勉強になった一年だった!
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[2005/12/25 13:54] つぶやき | TB(0) | CM(2)

ボランティア活動 

今日は友人に誘われて、パラリンピックの支援チャリティー
コンサートのお手伝いに参加した。

音楽を聴くのは嫌いではないけれど、
音楽関係者とは縁がなくて、音楽のことはぜんぜん分からない私。
しかし、あるところで知り合った知人が
音楽大学出身者だったので、私も音楽関係の知り合いが少しずつ
増えてきている。

音楽というのは誰の心にも癒しを与える事ができるツールだと思う。
もちろん嫌いな音楽は耳障りだけれど。
何かのイベントでも音楽のイベントがあると、
それだけで「参加してみようか」と思ったりもする。

今回、プロの音楽家がボランティアで演奏を行った。
ボランティア力ってすごいな~。
人の心もこんな風に信頼関係でつながることができると
もっと世の中も生き易くなる気がするのだけどな~。
[2005/12/25 01:35] 今日のできごと | TB(0) | CM(0)

退職願! 

この半年、特に10月からの3ヶ月
転職・退職をめぐっていろいろとあったけれど、
やっとそのことにもピリオドが打たれようとしている。

先週、退職願を出したが一向に職場から返答がない毎日。
そして今日やっと自分の上司からではなく人事の人から連絡が来て
退職の手続きが進んでいると知らされる始末。

本当に自分のことしか考えられない人たちっているのだな…。
それとも、私にはそういう気遣いさえかける価値のない人間だと
言いたいのだろうか?

こういう人たちが公務員として
「市民のため」に働いているのだから、
市民生活がギスギスするのも無理はない、と感じる。

公務員の人でも、心温かい人もいるのだろうけれど
この3ヶ月私に起きたことを振り返ると
公務員ほど冷たい人たちはいないと改めて背筋が寒くなる思いがする。

所詮、一年契約の非常勤職員だから仕方がないのか?
そういう人たちが「相談」という現場にいるというこの現実!

行政で働く人たちって
あまりにも世の中に守られすぎているため、自分を守ることしか
考えない冷酷な人間になるのだな~と勉強になった!

私にも悪いところがたくさんあったのだろうけれど、
不完全さをお互いにフォローしあえるような人間関係って
行政には必要ないってことか?
いや…正規の人同士でフォローしあえば
それで良いということなのか?
最後までなぞは解けない!

まあ、いずれにせよ年内退職が決まった!
[2005/12/22 20:42] 仕事 | TB(0) | CM(0)

ブログ講習会 

20051221214518

知人に誘われてブログ講習会に参加しました!

ブログの技術的なことは、ほとんど知っていることばかり
だったけれど、ブログの利用について
少し自分の幅が広がった気がする!

NPO団体のブログ作成についての講習会だったのだけれど、
いろいろなブログの活用があるのだな~。

気楽にブログの記事も書いていけば良いんだね!
携帯の写真をアップして記事を書くことも今日
教えてもらったので、早速その成果を…。



[2005/12/21 21:45] つぶやき | TB(0) | CM(0)

やさしい空間 

ずっと下腹部の痛みが気になっていたので、
総合病院の内科で検査をした。しかしどこも異常なし。
「念のため婦人科を受診したほうが良い」と勧められ、
近くの婦人科専門の個人病院に行った。

待合室からして他の病院と雰囲気が違う。
医師も看護婦のすべて女性。レイアウトも
女性らしさが漂い、待っている間も安心できる空間になっている。

だからなのか、診察を待っている女性も多い。
産科がないのに、受診する人がいるのだろうか?と
思っていたけれど、患者が途切れない。

結局、私は婦人科でも「異常なし」なので、
この病院に足しげく通うことは無い。でも、看護婦さんの対応も
みんな優しくて「こんな病院ならまた来たい!」と思った。

「当事者に優しい」病院を職員全員で心がけると
こんなに患者にとって心地よい空間になるのかと
本当に驚かされた。

いろいろな病院に行ったけれど、
この病院ほど「心地よい」病院は無かった。
一人一人の心がけでどうにかなる問題ではない、という気がする。
その集団全体が一致して
相手の立場に立った対応を心がけることができるかできないかで
その集団の「質」は決まるのだろう。

ここまで「当事者の立場にたつ」事ができる集団だってあるのだ!
自分の身体に異常なしがわかったことより、
この病院で受診したことに感謝した一日だった。


[2005/12/15 20:37] つぶやき | TB(0) | CM(0)

自己愛型の人・・・ 

京都の塾講師が子どもを殺すという事件…。
23歳の「大人」が小6の「子ども」を本気で憎む、
なんてバカバカしい「大人」の顔をした未熟な奴なのだろう?
と気分は暗くなる。

「モラハラ男」も「DV男」も被害者意識が強いが、
きっとこの加害者も被害者意識の強い人だったのでは?

「自己愛」の強い人が多くなったと言われるが、
特に男性は「自己愛型人格障害」などパーソナリティの問題を
抱えてしまうと暴力と結びつきやすくなってしまうのだろうか。

もともと殺人事件は男性の方が圧倒的に多いらしいが、
最近とくに小さい子どもに向かう男性の暴力が
多くなっている気がする。

「子ども時代を生きることが難しくなった子ども」
「子どもと大人の境目が見えなくなった大人のような子ども」と
現代の子どもが大人の境目を見えなくしているような言い方を
されることも多い。
しかし、子育て支援の現場で垣間見る大人の
多くが「子どものような大人」「子どもになった大人」である。
そんな実感が私は強くなる一方だ。

「子どもが大人の境目に近づいた」のか
「大人が子どもの境目に近づいた」のか、
わからないが、大人としての分別もプライドも
脱ぎ捨て、ひたすら子ども以上に自分の欲求を追い求める
「大人」の存在にあ然とさせられることも多い。

自分の行動を自分の責任(不幸)だけで終わらせるならならまだしも、
周りの人を巻き込んで不幸に陥れるのは辞めて欲しい!
暴力を使って他人の人生を滅茶苦茶にしようとする人に対する
対応策を真剣に考えないと
これからもどんどん同じような事件は起きる気がする。

[2005/12/13 23:35] 子どもの問題 | TB(0) | CM(0)

天使のナイフ 

ある人に薦められて「天使のナイフ」という本を読んだ。
少年事件や少年法などのことを扱った社会派の
ミステリー小説だったせいもあり一気に読んでしまった。

若い作家で、しかも初めての発表作品らしいが、
内容的にいろいろと考えさせられる非常に良い本だと思う。

20歳以下の少年少女が殺人事件を起こしても、少年法に守られ
被害者はほとんど加害者の情報を知らせてもらえない。

つまり被害者は被害にあった上に、マスコミなどからも追いかけられ
少年法に守られた加害者と異なり一方的にプレイバシーを丸裸にされ、
二次被害、三次被害に遭うことになる。

ある学習会に参加したときに精神科医が言った。
「暴力というのはいつも理不尽なものだ」と。
その精神科医はDVを受けた人からの
相談を受けることが多い人だけに私には非常に説得力があった。

結局、平和な日々を送っている人には気がつかない「暴力」の数々…。
その理不尽さに、被害者になって気がついても
傷口に塩を塗られた経験が増えるだけだ。

この小説の主人公は、幼い子どもの前で妻が少年3人に
襲われて殺された。少年法に守られ、加害者の名前さえほとんど
わからない、もちろん一度も会ったことがない。
親からの謝罪さえない…。
やっとそんな悪夢の出来事から少し落ち着きを取り戻していた
ある日、仕事場の近くの公園で加害少年の一人が殺された。

しかもその犯人として主人公が疑われている…。そして、次々に
加害少年が殺されていく。

少年法とは何か?暴力(殺人)とは何か?
そして、加害者、特に少年が「更正」するということとは?
加害者にとって「贖罪」とは?
そして被害者にとっての立ち直りとは?
そんな重いテーマを突きつけられる作品であった。

怒りや恨みや理不尽さで一杯の主人公が
最後に「希望」に近いようなものを掴み取っていく、
私にはそんな読後感も非常に印象的だった。

つまり人は一人一人、自分の暴力性を認めるところから
はじめない限り、理不尽な暴力は止まらない気がする。

[2005/12/10 23:41] 子どもの問題 | TB(0) | CM(0)

新聞記事 

今日の朝刊に「モラルハラスメント」の記事が大きく載った。
モラルハラスメントを受けやすい人…は家庭でも職場でも
「奉仕的でまじめな人」

ふう~。こういう人間こそ
重宝がられる世の中がこない限り、
「やさしい世の中・思いやりのある世の中」は
やってこないのと思うのだけど。

息子も学校でいじめられたときに思ったのは
「今の世の中、やさしさは罪だ」ということ。

私もまさに職場のモラハラで退職しようとしている…。
オカシイ!と思っているのは
暴力を受ける側だけで暴力を振るう側は
「相手が悪い」と思っているのみ。

子どものいじめは大人の社会を反映しているだけだ。
いくら暴力を受ける人が「暴力だ」と訴えても
なかなか伝わらないのも世の常。

でも、私は自分の信じる道を歩いていきます。
だって、子どもには「正直に生きなさい」と言っておいて
自分はちゃっかり不正直に世渡り上手に生きることは
できないから。
今の職場は捨てるけれど、自分の信念は捨てない!



[2005/12/08 20:44] モラル・ハラスメント | TB(1) | CM(0)

支援って何だろう? 

昨日、ある母子寮の保育士をしている方と話をする機会があった。
「DVを受けて逃げ込んだ親子の多くは、生活保護を受けながら
夫ともつながり、結局二重生活を続けている人が多いのが現実」
なのだそうだ。

今、国は三位一体改革の柱として生活保護を地方自治体に
委ねようとしている。
何とか今回の改革では先送りになったけれど、
それは福祉の切捨てに過ぎないと思う。
しかし一方で、行政の金を当てに生きているのだろうか?
と思うようなしたたかな市民が
福祉の現場にはたくさんいるので、何を支援すれば
本当の「自立支援になるのか」と日々悩むことが多い。

特に子どもがいる場合、子どもの権利を保障するという観点から
親の養育能力がかなり低い家庭で
施設入所するほどでもない親子に対して
行政は支援を手厚くする方向で考えることが多い。

しかし、そういう家庭は一度支援されると、それを当てにして
自分で頑張ろうという気持ちをどんどん失わせる
ことも多いと私自身の経験から実感する。
もちろん生活保護を一生受け続けることは
「いけないこと」だと思わないけれど…。

確かにDVを受け一時期
母子寮や生活保護のお世話になっても、
自立しようという女性はたくさんいる。そういう人は
行政の支援をできるだけ短く切り上げる努力ができる人たちだ。
それだけ生きる力がその人自身に備わっているからだろう。

しかし、いろいろな人生の過程を経て
「自ら生きる力」をとことん奪われてしまった人たちというのは
“行政の支援をうまく利用して生き抜く”ということだけに
長けてしまい、
福祉の担当者との間で支援の綱引き状態になっているだけ?と
感じることもある。

それをどう「自立支援に結びつけるのか」
「どうすれば結びついていくのか」
現場の支援者にさえ先行きが
まったく見えないまま、支援していることも多いのでは
ないのだろうか。支援者が「燃え尽き症候群」に
なってしまうのも、こういう現実があるから、という気がする。

当事者の力を最大限引き出すことが支援者の立場であろう。
しかし、その糸口そのものが見えないという現場の人たちの
苦悩が伝わるような話だった。

だからこそ私は、
「自ら生きる力」を信じられる子どもたちに
育てなければいけないような気がしてしまうのだ。
大人になってしまえば、なかなか自分の生き方を変えるのは
難しいと思うから。

…まぁ、それでも私は「自らの生きる力」を
誰もが持っていることを信じたいと思うのだけれど。

[2005/12/06 12:16] 子どもの問題 | TB(0) | CM(0)

「問題解決」は誰の手で? 

私は子どものための子ども専用電話(チャイルドライン)の
活動に8年ほど携わっている。

今、行政における
子育てや子ども関係の分野では「児童虐待」が流行で、
その連携先として子どもから直接かけてくる
チャイルドラインが厚生省などから注目を集めている。

チャイルドラインの一番大事にしている理念は
「子ども主導」「当事者主導」である。
「かけたくなったらかけてよい」「切りたくなったら切ってよい」
「話したくないことは話さなくてよい」など、
本人の選択を最大限に守り、「話を聴く」という場である。

最近の世の中の風潮として、
子どもや子育ての世界、特に児童虐待に関して
問題解決は社会や行政の手で!という雰囲気が大きい。
確かに「解決して欲しい」と
当事者の親や子どもが望んでいるにもかかわらず、
手が差し伸べられないのはいけないと思う。

ところが、当事者である親や
子どもを「解決能力のほとんどない人」と決めつけ、
「本人より自分たちの方がずっと解決能力がある」と
勝手に思っている“専門家”によって
問題解決が図られるようとしている面もある。

「問題解決」という時、
それを「問題」と思ったのは誰なのか?
「解決」とは誰のための解決なのか?
誰による、誰が選択した「解決方法」なのか?
「誰が当事者か?」を一番大事にしなければ
いけないのではないだろうか。

確かに子どもたちがSOSを発信するのは難しい。
だから、その声なき声を大人が拾い上げ救わなければ
命は守れない、という論理も当然出てくるだろう。

しかし…
社会的立場が弱い人ほど、当人の「出来事」や「現実」を
回りの他者に「問題である」と決め付けられたり、
「問題はない」と無視されてしまうのでは?
その上、解決も周りで勝手に決めてしまうことになって
しまえば、「自ら生きる力」を奪われたにも等しい!

チャイルドラインは「子ども主導」「当事者主導」に徹底して
こだわった活動を展開するグループである。
それは「当事者の力を信じる」ことであり、
他者による問題解決ではなく本人による問題解決を応援することを
大切にしているから。

児童虐待も「パワーとコントロール」の問題だと思う。
「子どもを救い出す」という旗の下
親から専門家や社会の大人にコントロール先が変わった
というだけなら、何の解決にはならないと思う。
虐待の現場で「力関係」に気がつかない人が多いのだとしたら
そのことが「問題」だと思うのだけれど…




[2005/12/02 14:16] 子どもの問題 | TB(0) | CM(0)



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